愛すべきしょうもないメモリ

最近、2年10ヶ月になる私のケータイが
ついに壊れちゃうんじゃないかという兆候をみせる回数が多くなってきました。。。
メールうってたりウェブに繋いでるときに突然画面がブラックアウトするし、
キーレスポンスがワンテンポ遅くなったり(いったん電源切ってまた入れなおしたら元に戻ったけどな!焦らせるなっつーのもう)するし。
3年も経つとメモリがパンク状態で、定期的にデータを消して整理しなきゃいけないし。
いままであまり必要性をかんじなかったので機種変しないうちに約3年経ちましたが、
そろそろやばいかな、と思ってます。
実際この記事をケータイから投稿しようとしてる最中に画面が案の定ブラックアウトし、せっかく書いた文章が消えてしまい
やりきれなさをこらえながら2回同じ文章をうっています(ちくしょう!)。


それで、機種変する前に約3年分の思い出たっぷりメール*1が消えることのないようにバックアップをとらなければ、と
ケータイをあれこれいじって本体からメモリーカードにメールを移す方法を発見。
(前に使ってたケータイもメールをとっておきたくて手元に置いといたのですが、ある日久々にケータイの電源入れてみたらアプリ以外の全てのメモリが消えてた。しょっく…)
さてどのメールを移そうかな、と3年前のメールから順に見ていったのです。
高校生活からいまの大学生活までたくさんの出来事が瞬時によみがえらせてくれるメール。
が、これだ!っていう特別なメールが見つからない。
読み返して、ああ、こんなことがあったなあ、これくだらないなあ、なんて目尻が下がったりするのがたくさんあるのですが、
これはぜひ残しておきたい!というのがなかなか見当たらなかったんですねえ。


それで気付いた。
今までの自分の最高の思い出になっている高校生活でも、それ以外の普段の生活でも、いい思い出イコール特別なことではないってこと。
例えばどこに遊びにいこうかといった計画をたててること、テレビに友達の好きなアーティストが出てるよとメールしたこと、どうでもいい冗談を言ったこと、遠く離れたところに住んでいる友達と近況報告しあったこと、家族との他愛もないやりとり、どれもほんと小さいことなんだろうけど、それがにやけるほど楽しい。
特別なメールなんてなくても、その日が終わればすぐに忘れちゃうようなことに自分がいて、周りの人がいて、いろんな時を過ごしたっていう証があるんだなっておもった。


おかげでメモリーカードに1つもメール移さなかったけどな!あれもこれもいやこれはいらないかでも繋がり的にこれとこれはとっておこうかああどうしようってやっぱりスパイラルに陥るからさ!
解決策はこうです、本体が永久にデータを壊さないでいてくれること。でもこの真っ黒で光を全く灯していない画面をみると、本体に期待するのはやめたほうがよさそう。それをぬきにしてもデジタルはあまり信用できないし。やっぱ紙に残しておかないと。ということでメールをなんとか紙に残せればいいんだけどね。やり方しらないし。


ただでさえ記憶力の悪い私だから、それをみて瞬時に記憶を呼び起こすためにもメールはとっておきたいんだよなあ。

*1:私のケータイは、メールの自動削除機能をOFFにすることができます。なので自分でメールを消さない限り消えることはなし