5%

高校のとき、ある先生が授業中にこんなことを話してくれた。


「人が話しているとき、その内容が相手に伝わるのは全体の5%くらいなんだ。だから、今こうして先生が50分の授業時間を使って一生懸命話していることも、みんなにはたった5%しか伝わらないことになるんだ」


この話をしてくれた先生の名前と授業科目は覚えているけど、どういう流れでこの話を聞いたのかは忘れちゃった。
5%。


最近、機会があって、私より人生経験が豊富な方々の話をたくさん聞くことができました。
話をしてくれた方々は、熱弁をふるうにせよ淡々と話すにせよ
何かを私たちに伝えたい、と思って
貴重な時間を使ってくれた訳です。
それは、例えば話し方などの表現力を抜きにして、
私たちに全て伝わったかというと、もちろんそうではない。
私の中に残るのは、たったの5%なんだ。
もしかしたら、5%も残らないかもしれない。
私の理解力や洞察力のなさのせいで、
何か大事なことをつかみそこねているのかもしれない。


これは本を読むことにも同じところがあったりするかも。
たしか夏目漱石の作品を解説した人だかが、
「……作中で漱石は、自分の作品を読んでもその真意に気付けない読者を痛烈に批判している*1のである」
というようなことを言ってたのを思い出した。
上辺だけみて、わかったようになってる人、わかったつもりになってる人が多いのかな。
でなくても私はそうなんだろうなぁ。
前に大学のある政治担当の先生も、
「国民にはわかった『つもり』になってもらった方が政治はやりやすい」
というようなことを言ってたし。


相手の真意を見抜くこと*2
物事の本質を見ること。

難しそう。


身につかなさそうだな。。。




長いけど書いてやれ。
こういう風に、出来事やその日起こったこと、感銘を受けた話を後で言葉にしてブログとか日記とかに残そうとしても、
そのときは浮かんでた文章は後になってもなかなか起こせないもんなんだよなぁ。
どれだけ言葉を尽くしても、
5%しか残らないものだったりして。



5%も残るって考えた方がよい?

*1:「痛烈に皮肉っている」だったかもしれない。うろ覚え

*2:これは大袈裟か?