カラマーゾフの兄弟

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)

この世界的長編小説を読み終えて早1ヶ月。
ドストエフスキーのことはほぼ何も知らず、ロシアや歴史的背景のこともろくに知らず、
でもするすると、たまにこれなんだっけと前に戻りつつ、
これなんだっけと前に戻ろうとしたが長すぎてどの辺に書いてあったのか探しきれずに結局そのまま不完全燃焼状態で読み進めつつ、
読み終えました。
鈍感で洞察力のない(ダメだなあ)私は、この作品のおもしろさを充分に楽しめていなかったのでしょうが、
それでも、感じ取るものは多少あり。


エピローグ別巻の解説にも書いてありましたが、
カラマーゾフの兄弟は未完なんですね。
ドストエフスキーが第2の小説を書くことなく亡くなったとき、
きっとそれは人類が大きな財産を失った瞬間なんだろうな。


裁判員制度が来年から始まる予定で、私は来年大学を卒業して社会人になるから裁判員に選ばれるかもしれない。
そう考えてミーチャの裁判を見ていたが、この裁判がロシア式かどうかはしらないけど、
裁判がここまで人一人の人生や、一つひとつの出来事とその時の感情の揺れ動きを衆目にさらすものだとは思わなかった。
殺人容疑がかかっているから、そこまでしないと罪の見極めには不十分なのかもしれないけど、
裁判を通してそこまで被告と被害者の人生に関わるってことが重くのしかかってきた。


私が一番印象に残ったのは、第10篇「少年たち」にでてきた、コーリャ・クラソートキン少年。
13歳なのにあと2週間で14歳ですって言い通した少年。
精一杯大人ぶって、頭よくて知識あるのを見て欲しくて、なんかこういう少年の生意気加減と、
それに丁寧に付き合ってきちんと認めてあげる(厳しいことはきっぱり言う)アリョーシャの2人を見ていて、
師弟関係というか、この2人がこれからどんな事件を起こすんだろう、ミーチャの裁判にどう関わっていくんだろうって待ち遠しくなった。
書かれることのなかった第2の小説では
この2人がメインの登場人物になって革命を起こすとか、皇帝を暗殺するとか
いろいろな説があるようですね。
読みたかったなあ。




あとはあれだな、第7編の2「そのチャンスが」の最初の方に書いてあったこの言葉。

たしかに同じ青年のなかにも、心の印象をうけ入れるのに注意深く、熱くならず、
温かい気持ちで愛するすべを知り、正確ではあるが、年齢からするとあまりに分別くさい(それゆえ安っぽい)知性をもったものがいる。そういう青年というのは、あえて言わせてもらうなら、
わたしの青年の身に起こったようなことは、避けてとおるだろう。
しかし場合によっては、たとえ非合理的であれ、
やはり大きな愛が原因で生じた熱中に身をゆだねるということは、そういう熱中にまるで無関心でいるより、はるかに尊敬に値するのではないかとわたしは思う。青春時代であれば、なおさらのことだ。
なぜなら、つね日ごろあまりに分別臭い青年と言うのは、さして頼りにならず、そもそも人間としても安っぽいというのがわたしの意見だからである!

ドストエフスキー 亀山郁夫訳 『カラマーゾフの兄弟 3』 光文社 2007年 pp39-pp40)


あまりに分別臭い、それゆえ安っぽい、ね。


本を読んだり映画を観たり、マンガ読んだり、その中から私が得たものは計り知れないけれど。
それでちょっとわかった気になってないかな。自分。