七夕しぐれ

七夕しぐれ

七夕しぐれ

読了。


ひと昔まえの仙台を舞台にしたお話。
知っている固有名詞はいくつかでてきたけど、いまの仙台しか知らない私はなかなか頭の中に地図を描きづらかった。


小学生が、差別に立ち向かった話。


個人的に、最近小学生と交流する機会があったり、子育てしている人のブログにはまったりしてるから
こどものことについて考えることが多い。
からか、この本読んだあともいろいろ考えちゃった。
思ったことをつらつらと。そして正直に。


差別に関しては、あんまり実感なかったかも。
仙台にもそういうふうに差別が残ってたんだろうなあってことは、まあ想像は出来ても実感はできないし、
そもそもこの時代の仙台のこと(というか地元のことも、全体的に)知らないから
文章読みながら頭の中にエタとかの差別を作っていくことしかできなかった。
ただ差別は無意識で、しかも根拠がないっていうか論理的なようでちっともそうでないし、理不尽だから
そのへんの怖さはよくわかったし、自分もそうかもしれないと思ってなんだか申し訳ないような情けないような気持ちになった。


いじめについては、連日ニュースででてくるからやっぱり普段から意識はしてた。
本当に陰湿ないじめは先生たちには気付かれない、っていうのはめっちゃ同感。
いじめがすぐ表にでるようならそれはいじめではない、というと言い過ぎだけどでも気付かれるわけがないんだよなあ。
そうするとなんだかいじめっこたちが憎くなるし、この本にでてくるノリオたちなんかほんとに消えちゃえ、とか思っちゃうし、なんだかいじめの構造っていうのかな、そういうのがとても腹立だしいしムカムカして仕方なくなるし、怖くもなる。
いま私はハタチの学生だからか、一応こどもの頃の気持ちも、まだきちんと向き合うのが気恥ずかしいけど覚えてるし、一応理解もできてるとは思う。で、もう成人してるから、大人の理不尽さというか諦めじゃないけどそういうのも身についてる(ついちゃってる)とも思う。


だから、先生の「貧乏くじ」発言も、新聞発行はやめろっていう発言も、
なんでこんな最低なこと言うんだ、と怒りがこみ上げてくる反面、
ふと大人の立場に立ってみると言っちゃう気持ちもわかっちゃう。
先生だって忙しいのに、いじめがあるなら早く見つけてやめさせたいって思うのに、
児童がだんまりきめこんだりしたらそりゃイライラするよなあって。
でもやっぱり最低だよこんな発言。どれだけこどもの心を傷つけたとおもってるんだろう。


そして、本当のいじめは大人に気付かれずにエスカレートしていくことだとすると、
大人ができることってなんなんだろうと考えずにはいられない。
こどもにとって無力な存在ではなくなるために、私たちができることは何だろう。
この本で、帰りの会で生徒を命がけでどなった先生がいるけれど、
内容はともかくそのことを「した」ことは間違っていないと思う。
結果論だと言われればそれまでだけど。



ノリオたちみたいなのって、絶対世の中から消えないんだよな。
人間としてやっちゃいけないこと、
大勢でたったひとりをいじめること、
道具(武器)をつかうこと、
相手が謝ったり許しを乞うてもやめないこと、
やっちゃいけないことを楽しげにやっちゃう人たちって消えないんだ。
そう考えるとどうしようもなく怖くなる。


なんだか、考えてたことの1割も書けなかったし、まとまりなんかちっともないけど、
言葉ばっかり浮かんで次々と消えていって頭が混乱しているような、でもどこかでそれを見つめている自分がいるような、とにかく、こういう問題について考えると、こんなふうになっちゃうくらい怒りとかがこみあげてきて仕方ない。それくらいに大きな問題なんだ。